田辺寄席では、参加者に「田辺寄席ニュース『寄合酒』ー当日版」 をお配りしています。
  06年4月までは、桂文太師匠が出題する「寄合酒クイズ」と中川 桂氏(芸能史研究者・大阪大学非常勤講師)の演題の紹介が掲載されて いました。06年5月からは月3回公演に伴い紙面も変更され、三公演 の演題紹介と「楽語写」が掲載されています。このページには演題紹介を収録しました。
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師走席田辺寄席

第408回
12月16日(土)昼席午後1時10分開演
〈新・じっくりたっぷりの会―笑福亭生喬の段〉


一、強情灸      桂 さん都(都丸門下)
 左腕に据えた灸の熱さに耐える男の表情が、なんともおかしい。見る要素も多い一席。

二、豊竹屋     笑福亭 生喬(松喬門下)
 豊竹屋の姓(屋号?)は浄瑠璃太夫の屋号から、音曲には節が付きものなので節右衛門。「カリン・ドウハチ」は、三味線の胴が昔は紫檀、白樫、桑などで作られたが、今はカリンの木で作られるものが多いところからきている。

三、四〇八号笑呆亭…『坊主の遊び』から
     桂 文太(五代目文枝門下)
 文太師匠による江戸落語の移入。江戸では吉原が舞台だが、こちらではもちろん新町に。別にクイズではないが、磯七の「新町に○○に行くもんがいてますか」の突飛なギャグ…聴く前に分かる方はかなりの文太ファンでしょう。

中入り

四、壷算       桂 小米朝(米朝門下)
 瀬戸物町は本町辺り…座摩神社の近くで、阪神高速の西側にある。最盛期には二百軒以上も瀬戸物関係の店があったというが、今や数軒が昔の名残を残すのみ。日曜は閉まっており、個人客より業者相手なのが感じられて寂しい。

五、尻餅     笑福亭 生喬(松喬門下)
 年の暮れを感じさせる噺といえば、『かけとり』とこの『尻餅』が二本柱か。ほかに『除夜の雪』や東京種の『にらみ返し』もある。昨今は暮れに餅をつく家庭も少ないが、田辺グループでは12月23日に魚崎で餅つきを行います。


師走席田辺寄席
第409回
12月16日(土)夜席午後5時40分開演
〈新・じっくりたっぷりの会―桂つく枝の段〉

一、つる       桂 二乗(米二門下)
 今年の田辺寄席は月三回公演が始まり、四百回を突破。会員制も導入された。来年以降も「継続は力」、鶴にあやかって千回を目指しますか。

二、親子酒  桂 つく枝(五代目文枝門下)
 忘年会シーズンだが、ある調査によると会社の宴会も年代によって狙いが違うとか。管理職クラスは「若手との交流を深めたい」、若手社員は「同世代との交流を深めたい」…とズレが。この親子は、ともに酒飲みな点は共通してます。

三、四〇九号笑呆亭…『平兵衛野盗伝奇』から
        桂 文太(五代目文枝門下)
 来月の大阪松竹座・初春大歌舞伎では、坂田藤十郎と市川団十郎の顔合わせが話題に。江戸時代のご先祖同士は競演しておらず、これが歴史上初の競演。盗人の芝居は出ませんが。

中入り

四、二番煎じ  露の 慎悟(五郎兵衛門下)
 元禄年間の噺本に原型があるが、花爛漫の禅寺に酒を持ち込んではならんといわれ、煎じ薬だと偽って酒盛りをする話になっている。『鶴満寺』と同趣向になるので、冬の噺になったのは適切だし、煎じ薬の正当性も高まる。

五、井戸の茶碗 桂 つく枝(五代目文枝門下)
 講談の『細川の茶碗屋敷』を落語化したものと思われるが、もちろん内容は多少違っている。細川家は骨董に造詣の深い家で、江戸落語では茶碗を買い求める侍は、細川の家来という設定になっている。


師走席田辺寄席
第410回
12月17日(日)昼席午後1時10分開演〈ラクゴリラ、田辺に出没!総出演!〉


一、四一〇号笑呆亭…『動物園』から
         桂 文太(五代目文枝門下)
 文太師匠の落語を聴き始めてから長いが、『動物園』はめったに聴く機会がない。どんな工夫やクスグリが出てきますか。

 二、鰻谷の由来   笑福亭 生喬(松喬門下)
鰻谷は長堀川の南側、島之内にあった町の名。町名のいわれは明確ではないが、横に長い片側町(通りの片方だけ)で、谷のような地形に由来する、とも。落語ではどんな由来が?

三、電話の散財   林家 花丸(染丸門下)
 電話は一八七六年、アメリカ人のベル氏によって発明され、日本では警察、官庁と普及していき一八九〇(明治23)年に民間での業務が開始された。とくに普及初期は、家庭に電話があるのが裕福さの象徴だった。

中入り

四、祝いのし  桂 つく枝(五代目文枝門下)
 あわびは殻が二枚貝の片側だけに見えるので、片思いの例えに使われる。その用例は古く、「あわびの貝の片思い」という言い回しは、早くも万葉集に見られる。

五、不動坊     桂 こごろう(南光門下)
 東西屋はちんどん屋のこと。明治に入り、この商売が東京ではひろめ屋、大阪では東西屋と呼ばれた。明治三十年代から大正初年にかけてが、その全盛期だったという。今は別のサゲで終わる演者が多いが、本来のサゲはその頃の時代をハッキリ感じさせる言葉が出てくる。


紹介文執筆…中川 桂



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