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田辺寄席、演題「怪説」
       演芸ライター 上田文世

12月師走寄席 昭和46年入門組「がっぷり四つの会」

第552回 田辺寄席 10年12月18日(土) 昼席 午後1時40分開演 
  《新・じっくりたっぷりの会−桂春駒の段》


一、月並丁稚  桂福丸(福團治門下)
 朝日放送「1080分落語会」があり、「知床旅情」が流行した39年前、文太、雀三郎、仁智、春駒が上方の落語界へ。師走席はこの4人の特番。福丸さんゴメン。これだけで行数が尽きました。

二、時うどん   桂春駒(春團治門下)
 高校を出て、いったんはサラリーマンに。しかし三代目春團治師匠の『皿屋敷』を知り、その中のお菊さんの可憐さ、その姿が忘れられない。2年で辞めて門を叩いた。「桂春駒」の誕生である。

三、淀五郎  桂雀三郎(雀三郎一門)
 「切腹」で思い出すのは作家・三島由紀夫の自殺。東京・市ヶ谷の自隊駐屯地で割腹した。それから40年。彼の著書の中で今も一番売れているのは、あま〜い青春小説『潮騒』だそうだ。

(仲入り)

四、死 神  桂文太(五代目文枝門下)
 死神を退散させるまじない・呪文は「あちゃらかもくれん、てけれっつのぱー」が定番。混迷する日本列島。どこに死神が座っているのか。「あちゃらかもくれん…」で退散させてほしい。

五、骨つり    桂春駒(春團治門下)
 墓はいらない。遺骨は墓地に埋葬せず、遺灰にして野や海にまいてほしい。そんな「散骨」志向者が増えている。まだ主流派にはなっていないが、そのうち「骨つり」がしにくい時代になりそう。

第553回 田辺寄席 10年12月18日(土) 夜席 午後6時10分開演 
  《新・じっくりたっぷりの会−桂雀三郎の段》


一、初天神   桂雀五郎(雀三郎門下)
 トラ公がせしめるみたらし団子は、京都が発祥の地。下鴨神社の御手洗会(みたらしえ)の時に茶屋で売られるからという。蜜をボタボタ垂らすので「蜜垂らし」かと思っていたが…

二、G&G   桂雀三郎(雀三郎一門)
 師匠・枝雀の小米時代の落語に魅せられた。でも、一人では志願出来ない。友達が電話してくれた。友達が師匠宅にも付いてきてくれた。友達ほどありがたいものはない。「桂雀三郎」の誕生である。

三、十三の渡し綺談   桂文太(五代目文枝門下)
 猪を買いに池田に向かう時にも出てくる十三の渡し。「十三のねえちゃん」でも有名ですが、なんで「十三」か。淀川の上流から数えて十三番目の渡しだったところから「十三」となったという。

(仲入り)

四、お忘れ物承り所   桂春駒(春團治門下)
 お忘れ物の届け出件数が増えている。10年前の倍以上、1800万点を超すほどだそうだ。傘なんかは忘れても取りに戻る人はほとんどいない。倉庫がいっぱいになって、悲鳴をあげているほど。

五、二番煎じ      桂雀三郎(雀三郎一門)
 子どもの頃の冬休み、かじかむ手で拍子木を打ち、「火の用心」と叫びながら町内を廻った思い出がある。統計によると、真冬よりは少し暖かくなった3、4月の出火が一番多いそうです。

第554回 田辺寄席 10年12月19日(日) 昼席 午後1時10分開演 
  《新・じっくりたっぷりの会−笑福亭仁智の段》


一、動物園  笑福亭智六(仁智門下)
 作者は明治期に活躍の二代目桂文之助という。文之助は京都の「文の助茶屋」創業者。噺の原典はイギリスのジョークと言われ、そういえば、海外での英語落語公演でもよく受けます。

二、めざせ甲子園     笑福亭仁智(仁智一門)
 高校時代、初めて落語を知りのめり込んだ。人前で話すのが苦手だったのに、仁鶴師匠宅を探し出して志願。その前で勇気をふるい『池田の猪買い』を演じた。「笑福亭仁智」の誕生である。

三、持参金    桂春駒(春團治門下)
 持参金の風習は日本だけではない。アジアのある国では、女性に高額の持参金が要求され、親が借金に苦しむほどという。嫁入りしたもののそこで殺され、持参金が丸取りされる例もある。

(仲入り)

四、江戸荒物       桂文太(五代目文枝門下)
 会津弁で話す渡部恒三議員が秘書に「今朝の朝刊を」と頼んだところ、秘書は電話の方に行き、警察庁長官を呼び出した。つんるべなわ→つるべなわ同様、今朝の朝刊→警察庁長官と伝わった。
五、多事争論      笑福亭仁智(仁智一門)
 ゴタゴタ続く民主党、奄美に大雨、尖閣どうする……。今年も多事争論で暮れていきますが、この噺の多事はテーマがちょっと違いまして、ただ争論になることだけは間違いありません。

第555回 田辺寄席 10年12月19日(日) 夜席 午後5時開演 
  《新・じっくりたっぷりの会−桂文太の段》


一、セールスウーマン   桂さろめ(あやめ門下)
 「やっと契約成立に至ったら、上司がほめてくれた。それが仕事を続ける原動力になった」。英語学習プログラムの販売で屈指の成績を上げた女性は、駆け出しの頃を述懐してそう言ってます。

二、百人坊主      桂文太(五代目文枝門下)
 「大学受験に行ってきま〜す」と家を出た。「頑張ってね」と母親は送り出した。しかし、行った先は文枝(当時は小文枝)師匠の元。親は泣く泣く子の思いに従った。「桂文太」の誕生である。

三、神様のご臨終(桂三枝作)から
            桂春駒(春團治門下)
 神様はともかく、人間には必ず臨終の時がくる。百二十歳で大往生の泉重千代さんとて同じである。「焼酎をくれ」と言い、それからほどなく痰を詰まらせ「アッ」と言ったのが最期だった。

(仲入り)

四、書生節 
     旭堂南海(三代目南陵門下)
     宮村群時(ミュージシャン)
 「リパブリック賛歌(オタマジャクシは蛙の子)」に乗って、今よみがえる書生節。皆さんもどうぞ。♭袴に高下駄学生帽、バイオリーンを弾きながら、世相や政治を皮肉って、歌う二人で高らかに

五、一人酒盛     桂文太(五代目文枝門下)
 市川海老蔵さんは、一人では飲みたくなかったようだ。仲間を求めて夜遅く出かけ、豪快に飲んだようだが、飲む相手を間違えたみたい。この噺を知っていたら、一人でも家で機嫌よう飲めたのに。





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