
中川 桂(芸能史研究者・大阪大学非常勤講師)による
演題紹介
田辺寄席30周年落語会 第一公演
2004年9月17日(金)午後2時30分開演

一、西の旅より 八度狸金玉仇討/桂 文太(文枝門下)
江戸時代、大坂から金毘羅さんへの参詣は、定期航路があってとても便利だった。参詣船の発着場所は大坂市中でも淀屋橋、長堀、道頓堀など数ヵ所あり、多くは丸亀の港に到着した。
筑紫から来たある旅人の日記では、大坂を発ってから三日目に丸亀に着いており、風向きにも左右されるが船だと3〜5日で着いたという。そんな時代を背景にした、文太師匠の自作。
二、がまの油/笑福亭 喬若(三喬門下)
大道芸では、芸そのもので商売をする方式のほかに、芸を客寄せの手段として品物を売るやり方もあった。『地獄八景』に松井泉水という、もじりの人物が登場するほど有名な曲独楽師・松井源水も本来は歯磨き粉や歯痛薬を売るための客寄せとして居合抜きや独楽回しを演じ、そのうち芸が本芸になった。この噺の油売りは客寄せとしてぜんまい人形を出しており、そのあたりにも落語のリアルな描写がうかがえる。
三、コジキノおっさんのすべて/桂 あやめ(文枝門下)
名作『立ち切れ線香』のパロディという発想から生まれた、あやめさんの自作。『立ち切れ』では、道楽を見兼ねて開かれた親族会議を漏れ聞いた若旦那が「乞食にしてみい」とタンカを切るが、結局は番頭の知恵で、百日の蔵住まいとなる。そこを、本当に乞食を体験してみたら…というところから出発したのがこの噺。導入の設定が変わり、ストーリーはどう推移?
中入り
四、寄席の獅子舞/笑福亭 三喬(三喬一門)
その昔は、正月に門付けにやってくる祝福芸といえば多種多様、バラエティーに富んでいた。有名なのは二人組でやってくる万歳。太夫と才蔵のコンビで、鼓を手におめでたい文句をうたい、囃して米や銭を乞う。同様に、独特の扮装をしたり楽器を持ったりしてうたい囃す門付け芸に、主に男性による春駒、また女性芸人による鳥追いなどがあった。これらは早くに廃れてしまったものもあるが、比較的近代まで残っていたのは獅子舞だろう。近代以降の獅子舞は主に二人で獅子をつとめ、他に太鼓などの囃子方が従った。一方、寄席の獅子舞は一人で演じられる。三喬さんは東京の柳家小里ん師匠から習い、祝儀時などに活躍している。
五、笠碁/笑福亭鶴志(故・六代目松鶴門下)
新世界・通天閣の地下で約30年営業してきた「通天閣囲碁将棋センター」が、今月中にも取り壊され、全面改装される。オープン当初の盛況が徐々に下火となり、近年の囲碁・将棋ファン高齢化に伴う利用者減少で閉鎖に。碁会所の繁栄は落語の中でしか見られないのか。この落語は現在では東京の噺という感があるが、原話は露の五郎兵衛の元禄四年の噺本に載っており、三代目小さんが東京に移したというから元はこちらの噺。いわば逆輸入という所か。
田辺寄席30周年落語会 第二公演
2004年9月17日(金)午後6時30分開演

一、兵庫渡海鱶魅入/桂 文太(文枝門下)
金毘羅参詣も終え、大坂への帰路をたどる喜六・清八がやってくるのが兵庫は鍛冶屋町の浜。現在の神戸市兵庫区、JR兵庫駅から程近い所に「鍛冶屋町」の町名が残り、港もあるのだが今は主に物資運搬のための場所で、旅人が行き来した昔の面影は感じられない。付近には、明治年間に造られた兵庫大仏(現在の大仏は平成の作)が鎮座する能福寺や、時宗の開祖・一遍上人の終焉の地となった真光寺がある。
二、茗荷宿/林家 染弥(染丸門下)
茗荷は日本で古くから栽培され、食された野菜だった。江戸初期の『料理物語』では汁の実、なます、刺し身、和え物、すし、漬け物によいと出ている。今日では「?」と思うような調理法も含まれているが、それだけ多彩に調理されていたのだろう。また「茗荷を食べると物忘れをする」というのもかなり古くから言われていたようで、頭の働きが鈍るとして「鈍根草」の異名も残る。宿屋夫婦の茗荷活用法とは。
三、黒雲のお辰/旭堂 南華(南陵門下)
大人の万引き犯がこの10年間で倍増したという。少年犯罪の初期現象との印象が強い万引きだが、全国の検挙者全体の中で未成年が37%なのに対し、成人は63%。手口も巧妙化するなど悪質になっているというが、モラルの欠如は大人のほうがはるかにひどそうだ。その点、芸能に名を残す盗人は、身投げを助けたり盗んだ金を恵んだりと義賊ぶりが際立つ。現代に義賊はおらんのか?(勧めてるわけではないが)。
中入り
四、女道楽/内海 英華(カッパ門下)
東京の寄席へ行くと、落語中心のプログラムの中で演じられる色物が楽しい。観客にも馴染み深いマジック。太神楽は二人組が多いが、一人で演じる若い女性もおり、この分野では上方にも同じく海老一鈴娘さんが健闘している。紙切りは観客のリクエストに答えたり、それをプレゼントしたりという交流が楽しい。動物ものまねを「家業」として演じる一族も…。漫才が色物というのは、こちらの演芸場と正反対。漫談の多くはものまねが入ったり、楽器演奏をしたり。楽器もギターやウクレレなど洋楽器もあれば、和楽器も…。そんな系譜に位置する三味線漫談、上方では下座囃子も勤める英華さんが活躍。故・吾妻ひな子師は「女放談」と名乗っていたが、「女道楽」とは一層古風な呼称だ。
五、皿屋敷/桂 米八(米朝門下)
足りない皿を恨みに幽霊が出る、という伝説は日本各地にあり、厳密には姫路が本家とは言い難い。姫路城内にある「お菊井」もどう考えてもフィクションだ。しかし『番町皿屋敷』をタテに、江戸の話だと主張する人に対しては「そら、ちゃいまっせ」と言いたくなるのがこちらの人間か。少なくとも伝説が広まったきっかけは、大坂で上演された『播州皿屋敷』だった。
田辺寄席30周年落語会 第三公演
2004年9月19日(金)午後1時開演

一、東の旅より 矢橋船/笑福亭 たま(福笑門下)
草津には三ヵ所の港があったが矢橋はその一つで、琵琶湖南岸の小港である。そこから大津までの湖上を往来したのが矢橋船だから、それほど長い距離ではなく、ちょっとした船旅という感じだったのだろう。草津は東海道と中山道の分岐点として栄え、江戸期には百以上の旅籠があった。現在は「草津宿本陣」や「草津宿街道交流館」が昔の旅を想い起こさせてくれる。
二、山内一豊とその妻/旭堂花鱗(南鱗門下)
山内一豊は安土・桃山時代の武将。はじめ豊臣秀吉に仕え、小牧・長久手の戦などで武功を挙げ、長浜城主を経て掛川城主となる。しかし秀吉の死後、関ヶ原の戦では東軍につき、手柄を立てて土佐国を治めたのだから、変わり身の早い人ではあったようだ。武将としては著名でないらしく、歴史の辞典類にはあまり出てこない。この人が名を残したのは、ひとえに良妻のおかげ、そして講談のおかげでしょうか。
三、お玉牛/桂 福矢(福団治門下)
素直に聴いて充分楽しい一席だが、この噺、作られた当初は歌舞伎・文楽でおなじみ『大経師昔暦』のパロディだったはず。夫が下女の玉に下心があるのを見てとった妻・おさんは、玉と寝所を入れ替わって夫を待つ。そこへ、玉に礼を言いにきた手代の茂兵衛が、おさんと知らずに情を交わし、不義を犯してしまう…。現在は源太が忍んで行くが、たぶん古くは、それが「あばばの茂兵衛」だったのではないか。
中入り
四、ズバリ当てま賞〜「な」の二十一番/桂 文太(文枝門下)
先月の「ね」、予想一番人気は『猫の忠信』だったが、口演は人情噺『猫定』という結果に。笑いは少なく、ストーリー展開で聴かせる噺で、東京では六代目円生師匠が得意にしていた。「猫は魔物」というが、そんな妖気がよく表された一席だ。今月は「な」だが三十周年とは特に関係なく、普段通りに淡々と?行うそうです。
a、『泣き塩』小品だがシャレた噺。識字率の低い時代とはいえ、武士が字を知らんとなりますと。
b、『長持』珍品。町内の若旦那と、許婚の娘さんとの逢引(古い?)をなんとか覗きたいと考えて…。
c、『ながたん息子』ながたんは菜切包丁のこと。勘当された息子と父親を巡る人情もの。
d、その他
五、悋気の独楽/露の 都(五郎門下)
この7月に、世界文化遺産に登録された紀伊山地の霊場のひとつ熊野。その熊野三山各社で授与される神符、つまりお札を俗に「牛王(ごおう)さん」と呼ぶ。牛王とは牛の肝臓にできる結石で、それを古代中国で朱印代わりに使ったのが名称の始めとも。誓約書代わりに使い出したのは武士が最初のようだが、遊女へも波及した様子は落語『三枚起請』にも明らかだ。
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