
中川 桂(芸能史研究者・大阪大学非常勤講師)による
演題紹介
第359回 2004年1月18日
《たっぷり じっくりの会》桂春雨の段

一、東の旅より 煮売屋/笑福亭 呂竹(呂鶴門下)
2004年田辺寄席の初席、一席目は呂鶴師匠の一番弟子で、田辺寄席初登場の呂竹さん。だしものは伊勢参宮の往復を描く『東の旅』のうち、入門した新米落語家がまず初めに手ほどきを受けるケースが多いという、物語発端の場面にあたる『煮売屋』。初物がこれだけ並ぶのも珍しいのではないか。この一席を聴けば、今年は幸先がええような気がしますな。
二、ふぐ鍋/桂 春雨(春団治門下)
昨日1月17日で、阪神・淡路大震災から9年目を迎えた。阪神間で被災した私には、寒い中、炊き出しで配られた豚汁の味は今でも思い出深い。田辺では先月、青年センターから程近い法楽寺に「田辺大根ゆかりの地」の記念碑が建立され、12月の田辺寄席でも大根汁が振る舞われた。今月は毎年正月恒例のぜんざいが中入り時に振る舞われるはず。……鍋の話題に移るつもりが、汁の話で終わってしまいました。
三、茶の湯/桂 あさ吉(吉朝門下)
噺本に見られる限り、この落語の原話は安永五年(1776)大坂刊『立春噺大集』所収の「あてちがひ」で、天王寺辺りの隠居の話として現行のサゲが見られる。その後、文化3年(1806)江戸刊『江戸嬉笑』所収の「茶菓子」では、隠居場所を根岸に変えるなどしただけでほぼ同じ話が載っているが、これ以降江戸落語の素材として定着したと見える。東京の落語という印象が強いが、発祥は上方のようだ。
中入り
四、ズバリ当てま賞〜「わ」の十三番/桂 文太(文枝門下)
「お」の十二番は、「る」に続いて贋作芝居噺の『鬼切丸由来』だった。源頼光の酒呑童子退治はかつて多く歌舞伎でも演じられたが、近年はポピュラーなものではなくなった。落語として残るか? 今月は「わ」だが、候補作少数。
a、『藁人形』東京種。坊主の行念が寝込んでしまい、隣家の男が様子を伺うと。不気味な雰囲気をもつ一席。
b、『笑い茸』古道具屋夫婦は子宝に恵まれない。女房は神信心を勧める一方、笑い顔を見せない夫に薬を飲ませる。
c、『わー』故・桂音也作。現代社会はストレスが溜まりがち、この男は奇声で周囲の人々を驚かせて開放感を得るように…。
d、その他
五、紙屑屋/桂 春雨(春団治門下)
この噺の中で居候によって踊られるのは順番に、座敷のチャリ舞「吉兆まわし」、立方(男性)の舞踊「吉野山」(『義経千本桜』より)、女方の舞踊『京鹿子娘道成寺』。性質の異なる三種類の舞踊を、一人の噺家が踊り分けるところが眼目である。もっとも昔の噺家は文字通りの「芸人」、元来は身に付けていた踊りを披露するようなものだったはずだが今は逆で、このような噺のために踊りを習いに行くようになった。
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